仏教3・0
私が宗教を感じたのは小学生のときで、宣教活動をしていた人に道で捕まりそのまま教会へ足を踏み入れた。
そこで初めてキリスト教を知る。
日曜学校で聖書を手渡され、神父さんの朗読と共に読み進めた。
複雑な家庭で育った私にとって教会は居場所であり、心休まる場所ではあったが、小学生3年生の女の子が一人で行くのには、周りの大人からしてみれば異様で一部の人からは受入れられない存在だった。
その事をなんとなく感じ、私の教会通いは一年ほどで終わった。
宗教から離れたわけではなく、ひとつのコミュニティから抜け落ちた異端児だった。
だから私の宗教は、ひたすら自己と向き合う持論型になってしまい、いつしか宗教というものから離れていった。
結局の所、宗教もコミュニティのひとつで、ルールがあり、人の感情があり、大勢の感情の真ん中ぐらいを取らないと居場所を見つける事は出来ない。
「アップデートする仏教」を読んでそんなことを思い出していた。
「仏教1・0」はまさに型だけの宗教で、誰かのための宗教ではない。
「仏教2・0」はコミュニティから抜け出し自己と向き合う。ここには瞑想があり、マインドフルネスといった思考が生まれる。
だけど壁にぶち当たる、自己があるからだ、心の問題を見つめ悟りを求めるが、自分の悟りを求めるがゆえ自己を手放す事ができない。
「仏教3・0」は自己を手放す。自分を放り出す。ここが難しい・・・
自分を雲ととらえ、空として見る。
まだ理解不可能な感覚で、本を読んだからといって掴めるものでもなかった。
藤田一照さんがこの本にサインをしながら
「難しいと思いますが、読んで下さいね」
と言って手渡して下さった意味がわかった。
私はこれから「仏教3・0」を考えます。